ゴマメの歯ぎしり日記

  

 長らくご愛読いただきましてありがとう ござりマスカット。

『ゴマメの歯軋り日記』は、ブ ログ『単車にまつわるエトセトラ』↑との合併に伴ない休 眠することとなりました。

 今後はどーか そちら(『単エト』↑) を可愛がってやってくださいマセマセ。                       

  店主            

2010.1.1(金)   タイガータイガーめでタイガー! 

 どうやら新年がやって来たようですぜ、どなた様もおめでとうございます。

年が明けたからといって何も変らないんだけど、年々風情もなくなっちまってねぇ、でもやっぱり好きですお正月。
朝 起きると白味噌の香りがし、餅何個?と聞かれて二つ!と答え、早くも到着している年賀状に目を通していると朝飯兼昼飯の用意が出来ましたよの声、おせちを 一そ ろい皿に取ってお雑煮でお祝いし、じくじくしつこく箸を動かしているとテレビでは例年のバカ騒ぎが繰り広げられている、うーんしみじみお正月。

しかし、昼過ぎに突如小六の長女と嫁が「バーゲンだ!」「Dヤモンドシティーだ!」と騒ぎ出し、義理の母まで巻き込んであっという間に走り去っていった。
残されたのは僕と、年末の買出しでチョケ過ぎて足の甲をショッピングセンターの階段で強打したためやや戦闘力の弱っている次女の二人組。
正月くらいのんびり家で過ごそうぜ!と、やや負け惜しみとも取れる発言で次女を手なずけテレビを見たり、キャツを抱き枕にして昼寝をしたりと、居残り組み は居残り組で実にのんびりと贅沢な元旦の一日を過ごした。

夕方、混んでた、寒かった、と言いながらDヤモンド組帰宅。
そこから例年のカニスキの宴となり、雑炊で〆て、風呂に浸かり、只今やっと文机に向かっておりやす。
みなさんはどんな元旦を過ごしましたでしょうか?
まぁ肩の力は抜いて。

今年もきっとよい年です!


蛇足 ブログの日記を転用です、手抜きであいすいません。 m( __ __ )m




2009.11.20(金) 人のフレーズ頂戴します! その3

 数年前に読んだキューバが舞台の小説の中で、主人公で超A級の工作員である男が、とんでもない窮地に立たされた場面で自らの過ちを悔いながら家族に向 かって実にいい言葉を投げかけていた、それは

「人生では過ちを取り消すことはできない。できるのは戦法を変えてミスを挽回することだけだ!」

これこそ真理である!つまりは、人生で失敗を犯した時に取るべき道をチェスに喩えてこう表現したワケだ。
もちろんこの言葉が彼の息子の心に届いたのは今更言うまでもないが、さらに彼の予想の範疇を越えるほどの威力でもってキューバから遠く離れたアジアの島国 にいる読者の僕の心にもグサリと深く突き刺さった。
カッコいいじゃねーか!このフレーズはオイラがいただいたぜ!

かくして、それ以降の僕ときたら・・・
たとえば、次女が図書館で借りた本を一週間遅れて返しに行ったと聞けば
「よく聞けヤス、過ちを取り消すことなんてできへんのや、でもな、ミスを挽回して信用を回復することはできる、さあヤス吉、この後何をやるかは自分で考え てみろ!」

あるいはまた、長女がお金が入ったままの習字の月謝袋を先生に渡し忘れたまま一ヶ月近くカバンの底に放置していたのが判明した時も
「大バカもの!失敗ってのは取り消すことができへんのやぞ!ただな、それを挽回することならできるんや!さあ考えなさいチロリンよ!」

さらには嫁さんが鍋をするというのにゴボテンを買い忘れた時には
「なにぃー!ゴボテンがなぃー!今頃言っても遅んじゃ!お父ちゃんのこのゴボテンを食べたい気持ちをどーやって鎮めてくれるんや!さあこのササクレ立った 気持ちを癒してくれ!できるだけイヤラシく癒してくれ、子供が寝てから」(それはちょっと違う気がするぞ!)

果ては次女が、ぜったい飛ばすから着替えて来いと言ったのに不精して白い服のままミトースパゲティーを食べ始めたとたんに案の定やってもーた時にも
「ほら見てみー!ミートソースとカレーうどんはお前らの手に負える相手やないんや!いつも言ってるように失敗は取り消すことができへんのや!できるのは戦 法を変えてやなぁ・・・」
しかし最近では既にヤツラはやや引き気味で、はいはいって感じの空気までが流れるしまつ。

そんなわけで、今日の標語。
いくら良い言い回しでも、多用、乱用は避けましょう!
これはというフレ−ズは、ここぞという場面まで寝かしておくのが得策です。多用する度だんだん効果は薄れていきますし、父親の威厳までもが薄れていく恐れ があります。
気をつけよう、知的な父ちゃんとウザい父ちゃんは紙一重。 また来週 つづくかな。




2009.11.11(水) 人のフレーズ頂戴します! その2

 中学時代の親友ショーヘイは、不思議と女の子にモテる男だった。
飛び抜けて男前ではなかったが、彼のかもし出す何かが微妙に女子の琴線に触れるのかして、特に高校に上がってからの奴はモテにモテてた。
僕たちは別の高校に進んだ為にあの頃めっきり会う機会が減ったけど、時折出会った彼の傍らには決まって可愛い女の子が静かに微笑んでいた。

そんなショーヘイと、高校時代に一度長電話をしたことがあった。
最 初はお互いの近況を報告をしあってたのだが、しだいに彼の独壇場となりだし、映画館の暗闇で彼女のオッパイを揉むのに熱中しすぎて映画の内容がよくは頭に 入らなかった話だとか、遊園地でデートして観覧車の中でお約束のようにキスをした話だとか、とにかく当時まだまだ放課後の三角ベースに命を賭けていたよう なお子様な僕には、なんともうらやましくも刺激的な異世界の話をショーヘイは別に自慢する風でもなく面白おかしく報告してくれたのだった。
そしてその時ショーヘイは僕に、観覧車で女の子の唇をスムーズ奪う方法を教えてくれた、つまりはこんな感じ。

だいたいな、あんまり構えたらあかんねんああいうもんは、キスしたい!って態度が丸見えなのは絶対NG!
だ から、とりあえずは観覧車に二人で乗って楽しく会話しよ、とにかく盛り上がる、で、最初は向かい合わせで座っててもかめへんけど途中で必ず隣へ移動するこ と、でもって頂上の手前になったら自然な感じに彼女の手を握ってみよう、ここまでがスムーズにできたらもう勝ったも同然!あとは、頂上直前タイミング間違 えずに女の子の瞳を覗き込んでこう言うだけ
「なぁなぁオレらカップルやんなぁ、ほんで観覧車乗ってて、一番上に到着ってことは、このあとって、ラブシーンやんなぁ!」
すると彼女は恥ずかしそうに「バカ!」とか言うはずから、そこですかさずブチュ〜っと・・・

「つ、使える!こいつは使える!」高校生の僕は興奮気味に一連の流れをしっかと頭の引き出しに仕舞いこんだ。
しかし、そうは言ってもなかなかこれが、活用できる状況がそうそう簡単に僕の元に訪れて来るワケではなかった。
かくして、三角ベースに明け暮れていた高校生はいつしか野宿と草レースに明け暮れる青年となり、勿論そんな泥臭い人生を歩む彼ににも多少の女っ気くらいは あった。
あったけれども、かのフレーズを繰り出せるシュチュエーションはなかなかやって来なかった。
とまあ、そんなワケで二十代の半ばになってやっと、あれは忘れもしないナイター営業開催中の夏のポートピアランドで、かの一連の流れを実践するのに絶好の 機会と相手を得たのだった。
しかし二十代の半ばになってまでしつこく、高校生に教わった台詞を使うとしてる男と言うのも何だかウスラ情けないなぁとも思ったんだけども、長らく温めて いたセリフを使ってみたい欲望の方が勝って、思い切って使ってみた。
するとね、これが、なんとも、想像以上に効き目があったのだよ明智君、まったくもって恐るべしショーヘイ。

ずいぶん長々と書いてしまったが、以上でこのお話はおしまい。
続きが気になろうが相手を知りたかろうが、このお話はもうこれでおしまい。
ま、それでもさらなるシモネタ話に花を咲かせたいという人がいたら、半平太を飲みに誘ってください、運がよければ口がすべります。
 シリーズはまだつづく。

2009.10.21(水) 人のフレーズ頂戴します! その1

 ボキャブラリーが少ないうえに、気のきいたフレズーを瞬時に繰り出せない僕は、今まで人から盗んだフレーズを駆使して人生を渡り歩いてきたと言っても過 言ではない。
新シリーズは、そんな僕が今まで盗用して来たフレーズ達にスポットを当ててみようと思う、てなわけでコソコソっと再開。
ではでは早速第一回目。

ショットバーに行くとジントニックをたのむことにしている。
めったに行かないけれど、行くと決まってジントニック。
ジントニックが好きなのかって?もちろん嫌いじゃないんだけれど、一番の理由はそれ以外にカクテルを知らないのだ。
その昔、教えてくれたのは一回り上で飲み友達の気のいいオッサン、あれは二十歳を越えてすぐの頃だ。

「半平太くんもこれからはショットバーとか行くようになるやろ!」
「ショットバーですか?居酒屋オンリーやと思いますよ、しばらくは・・」
「まあまあそう言わんと聞きや、ショットバーに行った時にな、コイツやるな!って思わせる注文の仕方があるんや」
「それって、女の子にモテるやつですか?」
「モテるモテる、ポイント稼げるで!」
「ほんなら頼みます」

てな会話があって後オッサンが教えてくれたのが、つまりはその、ジントニックであった。

「何 を注文していいか分からん時にはな半平太くん、迷わずジントニックを頼むんや、そんでな、ココからが大事なとこやでよく聞きや、一呼吸置いてからな、あそ うそう忘れるとこやったって感じでバーテンさんに向き合ってこう付け足すねん、できればタンカレで!てな、このタンカレってのはジンの銘柄やねんけども ツー好みの酒なワケだ、だからそう付け足すとバーテンは間違いなく、コイツなかなかやるな!って顔をするはずやし、もし女の子を連れて行ってたらその娘も きっと、何だか解らないけどこの人イケてるわ!って羨望の眼差しになって、その晩はすむーずに押し倒せるはずやから!」
「押し倒すのは、奥さんだけにしときなさい!」

そんなことがあってか、僕はショットバーに限らずカクテルを頼むスチュエーションで、決まってジントニックを頼むようになった。
なにより悩む必要がないというのが有難かったし、しだいにジントニックの味にもハマっていったのだ。
そしてここぞという時にだけ例のタンカレのくだりを使った。
しかし使いはしたが、オッサンが大騒ぎしたほどの効果はあったためしがない。
それを解ったうえでも、何故か今もあのフレーズを気に入って使い続けている僕である。

ちなみにこのオッサンは、地元の接骨院の院長なんだけども、単車乗り友達で飲み友達で、三十年来の付き合いの末、この数年後には仲人までやらせてしまっ た、そんな気のいいオッサンなのでした。




2009.9.11(金) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり 最終回 

長らくサボってしまってあいすいません、なんせ不定期日記なもので・・・

さてさて、いかがでしたでしょうか僕とパソコンとの馴れ初め話は?
これが十回にも分けて発表するようなことかよ!との声が何処からか聞こえてきそうですが、て言うか、まさにその通りなんですが!まぁまぁソレはソレアレは アレ、止められなかった若気のアレ・・・・

と、話を元に戻します。
とにかくそんなワケで、しつこくつづけてきました今回のシリーズはこれをもちまして終幕といたします、パチパチパチ。
つきましては次回からは新シリーズ『半平太の驚愕の性癖』をお送りする予定でした、が、あまりにも内容が過激で露骨な表現が頻発するため残念ながらNGと なり、それに代わって『半平太の華麗なる職歴』をお送りすることとなりました、どうか期待せずにお待ちください。

ではいよいよ最後に、かようにしてコンピュータと対峙するようになった僕の、コンピュータがらみの最近とっても気になってる事柄を一つ発表してこのシリー ズを終わりたく思います、ではイキます。

ジャ バ・スクリプトを勉強しながら思うコト、getElementByidが登場するたびに「Get Along Together」(by山根康弘)を決まって口ずさみ、しかも「together」を思いっきり日本語読みで「とぅぎゃぁざー」と歌ってしまうのは、も しかして僕だけっ?



2009.8.18(火) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その9

 人は誰でも長い人生の中で幾度かは何某かに追い詰められて、瀬戸際というものを体験する。
そしてさらに、今まで経験してきたそんな瀬戸際が霞んでしまうような状況に置かれて人は、窮地という言葉の意味を知る。
思い起こせばこの僕も、そんな窮地と呼ぶにふさわしい状況に陥ったことが過去にあった。

そう、あれはまだ二十歳前後の頃だった。
真 夜中の鑑賞会を行なうべく仕事帰りだか学校帰りだかに馴染みのレンタルビデオ屋に寄り、たまたまその日に限って口に出すのも恥ずかしいような題名のハード でアブノーマルな作品をレンタルし、意気揚々と自宅に持ち帰った。家族が寝静まるのを待っていよいよ魅惑のビデオをデッキの口に滑り込ませると、いつもの ようにテープが巻き取られる音がして、いつものようにAVメーカーの名前をアピールする無駄に金のかかったオープニングが映し出され、いつものよう早送り のスイッチをまさに押さんとしたその瞬間に、異変は起こった。
本編にさえ今だ辿り着いていないその時に、突如デッキがキュルキュルと切なげに身悶えたかと思ったら、とたんに全機能が停止し、画像がプツリと消えたの だ。
デッキが自主規制したのか、はたまた刺激が強すぎたのかは判らない、しかもいつもならいかに調子を悪くしても律儀にビデオだけは吐き出してから事切れてい たデッキが、今夜に限ってはその体内に魅惑のビデオを含んだままウンともスンとも言わなくなった。
これは、窮地である!

も ちろん修理に出すという手はあった、あったがその場合には間違いなくサービスステーションの受付のおねえちゃんに白い目で見られることが確実となる。それ は、さわやか路線が売りのこの僕にとっては何が何でも回避せねばならない事態であった、ゆえにそこから真夜中だと言うのにドライバーを探し出し汗だくに なって実に小一時間かけて絡まったビデオテープの救出にかかった。
そう、これこそが世にいう「オペレーション・ミッドナイト・イーグル(真夜中の荒鷲作戦)」の全容である。
尚、救出されたテープは再投入されることなく、惜しまれつつも鑑賞されぬままに翌日返却されていった。

と、ここからがやっと本編、前回からの続きである。

久々に窮地に陥った僕は、ふとそんな一昔前のビデオ救出作戦のことを思い出していた。
やばい、今回もこのまま事が表沙汰になると、日々怪しいサイトを覗いていたことが嫁にバレてしまう!
「がんばれ半平太あの時だって一人でできたじゃないか!さあ立ち上がるんだ半平太!」
どこからともなく聞こえた声に励まされ、僕はいつかのマサちゃんの手品のような手際を反芻し、必死でパソコンを操作し悪戦苦闘して、とうとう様々なプログ ラムが表示された画面を見つけ出すことに成功したのだった。
そして良く見るとその縦に並んだプログラムのあちらこちらに、まるで冗談のように派手なピンク色のハートのマークを頭に付けた、まったく見るからに怪しい プログラムの一団を見つけてしまった。
それはあまりにも解りやす過ぎて、もしかすると自分はおちょくられているんじゃなかろうか?とも思えたほどだ。
しかし僕は悩むのを止めて、そのあからさまに怪しい一団を片っ端から削除していくことにした。
隅から隅まで探索して計二十個弱、処理し終わったので恐々電話線をつないでみた、すると邪悪なウィンドウの攻撃はすでに収束したようだった。

数日後、顔を出してくれた後輩マサちゃんは素早くパソコン内を確認し、その時点ではもう怪しいプログラムは見当たらないと太鼓判を押してくれ、そして静か に去って行った。
た だその一ヵ月後くらいに、僕宛に五、六千円ほどの海外通話の請求が送られてきた。いったいどの間に海外につなぎやがったのかは結局解らずじまいだったが、 その五、六千円という授業料の金額設定が絶妙だったのでその点に敬意を払って僕は、今回だけはと素直にそいつを支払うことにした。
そして、その後二度と同じような海外通話の請求が半平太の手元に届くことはなかったという。

ただ当の半平太だけはは懲りもせずに、今も魅惑の海への航海を続けていると言うことだ。   もすこしだけ つづく





2009.8.6(木) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その8

あれはまだ、バブルの余韻が街にこべりついていた頃だ。
寝入りっぱなに職場の先輩から電話がかかってきた、時計を見ると午前零時、

「半平太ぁー車ですぐ来てくれ、プランタンの前におるからぁ!」

そうとうご機嫌な酔っ払いである。
当事はまだ終電が行ってしまうとタクシー乗り場には長蛇の列ができた。しかもあの日は週末と雨がかさなったため、ミナミはとても一時間やそこらじゃタク シーの順番が回ってきそうもない混み具合だったらしい。
そこであの電話だ、プランタンということはいつものあのスナックでしつこく歌っていたのだろう。僕は急ぎ服を着替えて阪神高速に飛び乗った。
ど こまで人がいいのかと思われそうだがこれには理由があったのだ、その一、普段からこの先輩には公私共に一方ならぬお世話になっていたこと、その二、この飲 み会に僕の当事の彼女で現在の嫁さんも参加させてもらっており、タクシーは彼女を送るために捉まえようとしてくれていたこと、その三、先に先輩を送った後 あわよくば帰り道で堺港の埠頭の先か緑地公園の駐車場あたりに寄り道して彼女と真夜中のスキンシップにいそしもうと、そんな良からぬ考えも頭を過ぎったこ と。

そんなわけで僕は、その後キッチリ三十分で難波はプランタン前に車を到着させ、酔っ払いの先輩と彼女を回収し、まずは予定通り先輩を下ろすべく尼崎方面に 車を走らせた。
しかし武庫之荘の手前で高速を下り、国道四十三号線を走り始めたとたん、突如目の前で真っ赤なフラッシュが焚かれた。
カメラである、速度超過のオービスである、「わちゃーやってもーた!」しだいに脱力感が僕を支配する「緑地公園どころやなくなってもーたー!」そう考えな がら、一方どこか冷静な頭で過去の違反と点数を必死になって数えていた。

とまあ、なぜにまたこんなコンピュータとは関係ない話が始まったかと言うと、キーワードの「赤いフラッシュ」からなんですよお客さん。
赤いフラッシュはいつも突然忍び寄って来て僕を窮地に陥れる、とまあそんなワケなんでさぁお客さん。

そしてあの日も、突然目の前のモニターがピンクがかった赤色にフラッシュした、かのように輝いた!
さらに、輝いた思ったらなにもしてないのに中ぐらいのウィンドウが開いて怪しい画像が表示され、慌てて僕が×を押すがそれをあざ笑う かのようにまたしても新 たなウィンドウが出現、負けずに×、しつこくウィンドウ、もういっちょう×、とまあイタチゴッコを繰り返し、そ のあたりでたまら ず僕は回線のコードを引き抜いた。
ご存知の通りまったくもってパソコンの知識のない僕だったが、これが非常に危険が危ない三人模様の絶体絶命な状況であった事だけは理解できた。

半平太いかにしてこのしつこいウィンドウにとどめを刺したのか  いよいよ佳境  もうちょっとだけ つづく





2009.7.31(金) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その7

 セクスィーなおネエちゃんが待つネットの大海に漕ぎ出した半平太だったが、いったいあの頃の彼に何ができたというのだろう?ここで検証してみたい。

とりあえず知っていたのは、怪しい数列を打ち込めば怪しいページに飛ぶと言うことと、それとあとひとつ覚えたことがあった、「リンク」ってのはどうやら別 の怪しいページに連れて行ってくれるということ、これは男の飽くなき探究心が探り当てた。

しかし残念ながらここまで。
ま ず「保存」なんて機能は知らなかったので、素敵なおネエちゃんが画面に現れても結局その場限りでお別れだったし、さらに「お気に入り」なんて機能も知らな かったので、それこそお気に入りのページに出会えても再び訪れることができるかは神のみぞ知ることだった、さらに「ダウンロード」なんて機能にいたっては ほとんど「タイムトラベル」と難易度は変わらぬ異次元の所業であり、パソコンで動画を観るという発想自体が僕にはなかった。

そんあワケで結果、あの頃の僕にとってパソコンは、仲間と連絡の取れる掲示板機能がオマケに付いた、やたらページ数ばかりが多いグラビア雑誌、と、まあそ んな感じだった。

どんなに価値のある(性能の良い)道具でも使い手が悪ければ意味を成さないという格好の例題を地で行っていた、いわゆるひとつの「猫に小判」「豚に真珠」 加えて「半平太にパソコン」というわけだ。

かくして、お待たせしているアクシデントがやっと起ころうかという頃合いとなってきたのだが、残念ながらまたしても今回も書ききれそうにない!
そんなワケで、そろそろ引っ張るのも限界なような気もするけれど、怒らずしばし待つように、待てば回路の日和あり、で、

半平太のパソコン画面が突如ピンクに染まるまで、あと少し    泣きの一回 まだ つづく



2009.7.24(金) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その6

 今思えば信じられない話だが、僕が初めて交わしたプロバイダ契約は「激安!ただし一ヶ月に二時間以内」という実に しみったれたものだった。

一日に二時間じゃなくて一ヶ月に二時間と言うのが何とも凄まじい。

しかし驚くなかれ、その短時間でさえ最初の頃は使い切らずに月末を向えていた。
なんせ仲間内の掲示板を冷やかすコトだけに使うのだから、それで十分だったのだ。
しかし、十分だったけれどもそこは二時間という縛りがあったので、一分一秒たりとも無駄にしないセコい使い方を慣行していた。

つ まりはこう、掲示板に繋がって表示されるのを待ってたちまち接続を切る、そしてつながっていない状態で皆の書き込みをゆっくり眺め、必要に応じてカキコカ キコとカキコミの下書きし、できあがったら再度繋いで素早く送信し、完了を待って速やかに接続を切る、とまあそんな感じで、まるでそう経費節減に命を懸け る中小企業の経理課長といった按配だった、今思えば何ともセコイヤチョコレート。

しかし案の定二時間限定の契約は、比較的早い時期に変更されることとなる、原因は謎の文字列。
ちょうどその頃、僕は自分の周りに忍び寄る不思議な文字列が気になりだしていたのだ。
それらは電話番号ではなく、ただのアルファベットでもなさそうな、「 http://www 」から始まる謎の文字列。
たとえばHな週刊誌の片隅に、あるいはHな成年誌のグラビアの下部に、はたまたHな18禁マンガの枠外に、そのほかいたるトコロに現れ「気軽にアクセスし てね!」などのコメントが付けられた謎の文字列。

なんとなくコレが、良い子は決して開けてはいけない扉だってことは分かっていた。
分 かっちゃいたけど人間「触っちゃダメよ!」と言われりゃ触りたくなるし、「この引き出しは開けちゃダメ!」と言われるとこそっと開けたくなるのが人情で、 したがっていけない事とは知りながら、ある日僕は始めて見知らぬページへ誘う文字列を不慣れな指先でパソコンに打ち込んでみたのだった。

かくして、開けてはいけない扉は開かれてしまった。
そして扉の向こう側では、もしかしたらハタを織っている鶴が出迎えてくれるんじゃないかという薄い期待は見事にはずれ、その代わりと言っちゃなんだが肌 をあらわにしたオネエちゃんたちが「どーよ!」とばかりに僕を歓迎てくれた、OH!これぞ魅惑のパラダーイス!

何だか一向に話は進まない気もするが・・・ 半平太のもとに身に覚えのない海外通話の請求が届くまで あと数ヶ月  つづく






2009.7.12(火) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その5

  後輩マサちゃんは電気設備を生業としている。後輩マサちゃんはパソコン組み立てが趣味である。後輩マサちゃんはプログラムにも大変明るい。そして後輩 マサちゃんはいやな顔せず電話一本で飛んで来てくれる。

しかるに、そんなマサちゃんを後輩に持つ僕が、パソコン全般に弱いと言うコトはまったくもってうなずける話なのだ!そう僕は甘え続けて いた、いわんや長いこと甘やかされつづけ一人では何もできないお子様だった!

し かしそんなダメな教え子である僕を、マサちゃんも最初から甘やかしていたワケではない。最初のころは少しずつパソコンに慣らそうとあれこれ策を練って僕の バージョンアップを計ろうととしていたのだ。そう例えば、マウスしか触れない僕をキーボードに向かそうとある時はタイピングゲームなるものを持って現れ

「ほら半平太さん『イニシャルD』ですよ!好きだったでしょ!これね、ハチロクを走らせるだけでタイピングが上手くなりますからね、 やってみてくださいね!」

し かし渡された箱を一瞥しただけで開けもせず僕は、「タイピングゲームなんかよりペッティングゲームとかはないのかよマサちゃん?」などと言ってはいつも奴 を困らせた。 いつもそんなだから、いつしかマサちゃんは僕を育てることをあきらめてしまった。
そのあとはもう「動かないー!」「変なん出るー!」「すぐ来てくれー!」の呼び出しに素早く応じて自らトラブルを直してくれるというスタイルに落ち着いて しまった。

そして今も、僕が緊急のメールを打ったらば、その週の週末あたりにはヤマハの660を呻らせてマサちゃんはやって来る。

あっそうそう今日は、魅惑の海の話でしたよね。
なんだか枕が長くなってしまったので、そいつは次回の講釈といたします   しつこく つづく







2009.7.2(木) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その4

あれは、三十路もとうに越えた、ある春の日のことだった。大きなカバンをさげて後輩マサちゃんが我が家にやって来て、いつになくハイテンションで僕に訴え た。

「半平太さん!もう限界です!この情報社会の現代に、にいまだパソコンが存在しない家があるなんてこと、世間が許しても僕はもう見過ごすことはできませ ん!」

勢いに負けて素直に耳を傾けていたら、つまりはこういうことらしかった。
マ サちゃんは以前から仲間内の連絡用にとネットの掲示板を借りる構想を練っていた、しかしその計画にはネット環境の無い僕がネックでありったらしい。そんな ワケで機会あるごとに遠まわしに勧めていたのだが、一向に僕がパソコンを設置する気配を見せないので、その日はとうとう痺れを切らし実力行使に乗りだして きたのだと。
奴はカバンの中から手持ちの中古ノートパソコンを取り出し
「初期化してきましたから、無料でリースしますから、使い慣れたらも少しましなのに交換しますから、とりあえずプロバイダだけ決めてください」
カバンから出したプロバイダーのカタログを、さあ選べ!とトランプのカードのように広げて僕の目の前へ突き出した。

かくして押し切られたかたちで僕は、マサちゃんのされるがままに身をまかせ、ノートパソコンを一匹飼うことにした。
しかし僕は使い方など全く分からない、分からないから唯一教えてもらった掲示板へのアクセスだけせっせとつないでいた。
でもしばらくするとチョット欲が出た「噂に聞くネットの海ってどんなだろう?」と、そしてある日とうとう漕ぎ出した、ネットの大海の怖さや広さも知らぬま ま。

大方の予想通りあっけなくアダル○サイトで立ち往生、その海は危険だぞ!初心者じゃ乗り切れないぞ!すぐに脱出するんだ!何処かで声がする。

はたして半平太は魅惑の海から無事脱出できるのか  次回へつづく







2009.6.28(火) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その3

思えば、長らく勤めていた職場にもコンピュータはあった。
いや、あったどころの騒ぎではない、コンピュータが溢れていた、いやコンピュータに埋れていた、いわんやコンピュータの間を日々泳いでいた。
金融機関に席を置いていたのだから当たり前と言えば当たり前の話である。

でもね、あのころ相手にしてたコンピュータ端末たちはどこまでも単純で、難解さの欠片もなかったのだ。
だって必要な事務処理や帳票の打ち出しにはそれぞれ四桁の背番号がついていたし、その番号さえ打ち込んでエンターキーを押すだけでほとんどの用件は片付い たから。
そして万が一手に負えない事務処理や状況に追い込まれたとしても、本部には事務部というコンピュータのエキスパートが控えていたので、内線ひとつで手取り 足取り教えてくれ、それでも無理な場合には本部のパソコンからチョイチョイと処理してくれたりした。
これこそがいわゆる金融機関専用システム、専用端末というやつですね。
だからパソコンの操作に一切興味を持たない僕だって、日常の業務には全く支障をきたさなかった。

しかしその後、さすがに時代の流れか本支店間だけで閉鎖的につながったパソコンが各店に送り込まれて来、報告物や通達関係に使われるようになるのだが、そ れでも当初一台から始まって僕が職場を去る時点でやっと店に三台という体たらく。
事務の効率を考えると、その前にはいつもパソコンの得意な職員が右代表で座ることとなり、彼女らがいつも鮮やかな手つきで事務をこなしていた。
そんな訳で、あいかわらず苦手な職員はパソコンに触れずとも支店は順調に回って行ったので、もちろん僕も近づくことは無く、もっともその他の仕事だけで十 分忙殺されていったのだけれども・・・。

半平太がコンピュータと対峙するまで あと数年  まだつづく







2009.6.21(月) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その2

我が家にファミコンがやって来たのは確か僕が大学に通っていた頃だ。

短大を出て就職した姉がある日、勤め先の事務所の備品のファミコンをかっぱらって、もとい、譲り受けて帰ってきたのだ。そう、ドラゴンクエストという名の カセットとともに。

世の中は既にスーパーな後続ゲーム機であふれていた。ドラクエも既にシリーズ四作目か五作目に突入していたはずである。そんな時代ある。だからおそらくあ の時、初代ファミコンが稼動していたのは大阪南部広しと言えども我が家ぐらいだったろう。

と ころがそれまで頑なにゲーム機等を遠ざけていた体には、既に時代遅れであったがシンプルなそのゲームがとても新鮮に映った。そしスポンジが水を吸い込むよ うに、姉弟二人して見事に初代ドラクエにはまった。競い合って旅を続けた。経験値を上げ、魔法を覚えた。復活の呪文も必死で書き写した。

しかしブームはいつしか過ぎ去ってゆくもので。おおよそ一年がかりで勢いにのって二作目までは片付けたのだが、そこらで足がもつれた。というかお腹がいっ ぱいになった。もうドラクエは満腹だった。もともと飽きっぽい姉弟だっだ。

役 目を終えたファミコンはしばらく埃をかぶっていたが、数年後、競馬好きの僕の悪友が突然我が家にやって来て、当時試験的に希望者を募って電話回線で勝ち馬 投票権(馬券ですよ)が 購入できるようになるというファミコントレースなるJRAのサービスに見事当選したんだと「ついては、お前とこに古いファミコンあったよな、あれもらって 帰るぞ!」と有無を言 わさず持ち去られたまま姿を消して二度と戻ってはこなかった。

かくして、コンピューターとは呼ぶにはややショボかったが一様は末席に籍を置くファミコンとの第一次接近遭遇は、そのように悲しくも幕を閉じたのだった。

半平太が、本格的なコンピューターと対峙するまで あと十数年  つづく







2009.6.15(月) 吾、かようにしてコンピュータと対峙せり その1


前 触れなしに日記など始めてしまい、あいすみません!管理人の半平太です。ま、日記とは言っても不定期なやつですので、軽く流してくださいな。そもそもホー ムページなど立ち上げてしまいましたがこの僕、何を隠そうネットワーク、パソコン、マイコン、OA機器なんてヤツラとは本来対極な位置に居たはずなんです よね。


た とえばそう、小学校時代には電子ブロックにもさして興味をしめさず、しかしながら初期型ゲーム電卓だけは親に泣きついてゲットし、さりとてゲームウォッチ やファミコンにはまったく手を出さず、時おり友達の口から出る一太郎や花子って 奴らはいったい何処の誰なんだろう?と首をかしげる、そんな夢見るティーンエイジャーでありました。

学生の頃には懸賞でキーボード型のFMXとかいうパソコンを偶然手に入れたこともあったのですが、まったくもって興味を示すこともなく結局一度も箱から出 さずに気前よく友達に譲り渡したものでした。

し かし、時代はビル・ゲイツの登場によりさらに加速度をつけ大きなうねりとなってコンピューターという名の怪物に飲み込まれてゆきます。ただ、そんな激震の 二十世紀の中あってもなお僕は無謀にも、唯一の武器初代ゲーム電卓だけを片手にどうにか渡りきろうとしたのでありました。

半平太が、コンピュータと対峙するまで あと、二十年くらい  つづく